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森宗家系

森越後守可行の長男可成の系統(宗家)系統で織豊政権の成立過程の中で大名となった家です。宗家系では赤穂家と三日月家が大名として明治まで存続し、宗家分家主税家は宗家の家臣として、三日月分家の久留里家は他家の家臣として残りました。
森宗家系
津山藩主森家
西江原・赤穂藩主森家
森主税家

三日月藩主森家
久留里森家


津山藩主森家
元禄10年(1693)無嗣断絶
@忠政−A長継−B長武−C長成−●衆利

可成の跡は次男長可で、長可の後は末弟の森美作守忠政が継ぎ、美作国主となります(18万6500石)。しかし、元禄10年に美作守長成死去後、養子の式部衆利は発狂し、無嗣断絶となります。

西江原・赤穂藩主森家
●長継−@長直−A長孝−B長生−C政房−D忠洪−E森忠興−F森忠賛−G森忠哲−H森忠敬−I忠徳−忠典−忠儀−忠恕−可久−

宗家改易後、前藩主で隠居していた老齢の森内記長継が隠居料としていた2万石を改めて宛行われ、家名を残します。そのため備中西江原へと移されます。その後の和泉守長直が赤穂に転封となりました。この家を居城のあった所を採って「赤穂家」としました。しかし、津山藩主長継ぐ直系の家として「宗家」を意識しています。これは「森家先代実録」の編纂方針によく現れています(旧子爵)。

三日月藩主森家
@森長俊−A長記−B俊春−C俊韶−D快温−E長義−F長篤−G長國−H俊滋−長祥−俊成−俊守−利之

この系統を「三日月家」とするのは居所である播磨国三日月(乃井野)に由来します。「実録」では森對馬守長俊の系と呼んでいます(旧子爵)。長俊は当初宗家から新田を分知されていましたが、宗家改易後、領地を改めて三日月に賜りました。

久留里森家
●光照−@光治−A光仲−B光暁−C光厚−D光長−E光福−F光新−G勝蔵−H忠蔵−I丑之助−J善太郎−K茂

長俊の4男の伊豆守光照が祖で上野沼田藩主黒田豊前守直邦(その祖は後北条氏の遺臣中山氏で、筑前黒田家とは別系)に請われて家臣となり、代々家老職を勤めます。主君の黒田家が後に上総久留里に転封に伴い、久留里に定着します。久留里家では光照の子光治を初代として数えていますが、理由は不明です。

森主税家
文久3年(1863)断絶


@森長武−A長基−B長英−C長員−D長清−E賛張−F可真−G可彜 

「森家先代実録」では森主税家系としている家です。祖は長継5男伯耆守長武で津山藩主を隠居した際に本家より隠居料として2万石を分知されたのがはじまりです。長武は実弟の主殿長基を養子にして跡を継がせようとしますが2万石相続は認められず、長基は実父長継に御預となりました。後に赦免となり赤穂藩の重臣となります。以後の当主は代々「主税」を称します。
 ※出典:森家史料調査会編「森一族の呼称について」2004年版

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