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三日月藩主森家(三日月家)

⑥森 長義
(もり ながよし)
幼名・別名 芝二郎
官位 従五位下
生年 天明7年(1769)8月20日
(於江戸)
襲位 享和元年(1801)8月 養嗣子
享和元年(1801)9月27日
襲封15000石(三日月藩)
没年
天保8年(1837)8月20日
(51歳・於江戸)
継承者 養子・森長篤
(実父は赤穂藩主・森忠賛)
墓所 池上本行寺(供養墓)
法名
(戒名)
長義院殿棲鶴日娯大居士


(続柄)
新見藩主・関長誠
(次男)

(実父)
不詳
側室
(子)
深達院
長男・長国(8代藩主)
側室
(子)
義爽院
次男・
三男・
四男・長道(新見藩主)
養子
(実父)
養子・森長篤
赤穂藩主・森忠賛の11男


森長義墓所
(池上本行寺)

竿柱の鶴丸紋
(池上本行寺)

香炉台の桐鶴紋
(池上本行寺)
※墓碑調査は関係者のご協力を得て、森家史料調査会によって行われたものです。
人物紹介
三日月藩の第6代藩主

【出自】
父は備中新見藩主・関長誠で、その次男として天明7年(1801)8月19日に江戸で生まれた。幼名は芝二郎、関 家は戦国以来森家と血縁が深く、長義自身も三日月藩祖森長俊の玄孫に当たる。
長義の兄・長輝は長誠の後を継いで新見藩主となったが、次男の長義は三日月藩5代藩主・森快温に嫡子がいなかったため、その養子として森家に入った。そして享和元年(1801)、快温の死去を受けて家督を相続し6代藩主となった。これにより、藩主の血統は初代長俊に遡り、2代長記の血統は途絶えてしまう。(系譜参照)

【養子と2人の側室】
家督相続から8年後の文化6年(1809)病を理由に、赤穂藩主森忠賛の11男・長篤を養子に迎えて家督を譲り、隠居した。正室は生涯を通じて持たなかったが側室が2名確認される。これらの女性についてはこれまで存在が知られていなかったが、1名は平成15年(2003)に本行寺墓所調査(森家史料調査会実施)で本行寺に葬られていたことがわかり、深達院殿と諡号されていることが判明した。もう1名は義爽院殿と判明し平成21年(2009)の三日月高蔵寺墓所調査(同会実施)により、墓所が確認された。

【嫡子の誕生】
長義隠居の翌年、側室・深達院との間に嫡男・長国が生まれる。しかし長義はすでに長篤を養子として家督を譲っており、長国は家督相続の立場ではなかった。ところが長篤は家督相続から7年後に嫡子をもうけないまま22歳で急死したため、先代藩主の嫡男たる長国が跡目を相続することとなった。

また、長義には四男に長道(母・義爽院)を設けるが、長道は後に新見藩主関家の養子となって新見藩8代藩主となっている。

【死去】
その後、長義は天保8年(1837)8月20日、51歳のとき江戸で死去、池上本行寺に葬られた。江戸時代、誕生日を祝う習慣は聞かないが、記録によれば奇しくも誕生日(8月19日)が命日となった。

なお、読みは「ナガヨシ」と思われるが、関係家では「チョウギ」と呼んでいる。遠祖に森長可(1558-1584)がおり、同様に「ナガヨシ」と読むことから判別の意味を込めたのかもしれない。(この例に限らず、諱を音読みにする慣習が当時存在した。)

血縁系図

関係資料
三日月藩日記
森氏雑話
三日月町史(旧佐用郡三日月町)
森家先代実録
池上本行寺墓碑碑文
個人蔵古文書資料

関係記事

歴代当主 西暦 主な出来事 備考
※2
















1787
天明7年8月20日
森長義、備中新見藩主・関長誠の次男として生まれる。(後の6代藩主)
1歳
1793 寛政5年11月10日
森俊韶隠居。妹婿の浅野快温(広島藩主浅野重晟の次男)に家督を譲り、森快温が5代藩主となる。
6歳




1795 寛政7年
森長篤、播磨国赤穂藩主・森忠賛の11男として生まれる(後の7代藩主)
藩主・森快温、私財を投じて藩校「廣業館」を設立
8歳
1797 寛政9年2月4日
森俊韶、江戸で死去。享年48歳
10歳
1801 享和元年9月27日
森快温、領国の三日月で死去。享年33歳。
森長義が家督を継ぎ、6代藩主となる。
14歳
1806 文化3年6月4日
森俊春江戸で死去。享年81歳
19歳
1809 文化6年5月20日
森長義隠居。森長篤が家督を継ぎ、7代藩主となる。
22歳




1810 文化7年
森長義の長男・森長國生まれる。(後の8代藩主)

3月4日
側室・深達院死去(長國の生母)
23歳
1816 文化13年8月23日
森長篤、江戸で死去。享年22歳。
先代長義の嫡男・森長國が家督を継ぎ、8代藩主となる。
29歳
.





1833 天保4年
森長國の次男・俊滋生まれる(後の9代藩主)
46歳
1837
天保8年8月20日
森長義、江戸で死去。享年51歳

大塩平八郎の乱
51歳
※1 出典:森家史料調査会編「森一族の呼称について」2004年版、 「森家年譜」。
※2 年齢は幕府届出による公称年齢を基にしています。

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