■源頼朝と源頼隆
義隆が戦死した当時、彼の息子頼隆は生後僅か50日であったという。しかし、父の罪状を問われて幼いながらも乳母を連れて下総国(千葉県)に流罪となった。
下総を統治していた豪族、千葉常胤は彼を大変不憫に思い、我子のように育てたが、やがて源頼朝も関東に流されてきた。頼朝はこの地で体制を建て直し、再起を図ろうとしていたが、その折に下総国府(現在の千葉県市川市)で千葉常胤と面会した。
常胤は預け身であった頼隆を頼朝の御前に連れ出して、琵琶湖に沈んだ義隆の忘れ形見であると紹介すると、当時身寄りの少なかった頼朝は、「そうか、それならば我一族ではないか、そのような下座に座っていないで、こちらへ来い」と、まだ幼い頼隆を上段に座る頼朝の横に座らせたとつたえられています。
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