トップページ >> 森家の歴史 >> 3.森家と戦国時代
森家の歴史

(戦国時代・16世紀)
この頃、美濃の豪族であった森家は織田信長腹心の武将として、頭角を現します。森可成や、小姓として有名な森蘭丸もこの時代の人物でした。

■織田信長と森家

義隆の死から400年が過ぎた戦国時代、織田信長の家臣に森可成という武将がいた。彼も義隆の子孫で、最初は斉藤氏に仕えていたが、その後信長の客将となり、次第に信長の信頼を得ていった。清洲城では信長の叔父の首を取り、桶狭間の戦いでは一見無謀とも取れる騎馬隊による奇襲を強く進言し、今川軍を驚愕させた。これらの戦功によって、近江の坂本城を与えられて守備を命じられたが、信長の天下統一に反対した朝倉義景らが城に押し寄せ、城を守りながら戦死した。

■信長の秘童、森蘭丸

彼には6人の息子がおり、3男に蘭丸という青年がいた。 彼は記憶力がよく、容姿が美しいことから、信長の小姓に登用され、幼いながらも諸将への伝奏役や伊勢神宮使などを勤めた。この蘭丸に関する逸話は今日まで多く伝えられている。蘭丸は1582年3月、武田氏が滅亡すると、岩村城5万石を与えられた。しかし信長の小姓を務めていたために、領地へ行くことができず、家臣を城代として派遣し、さらに6月に信長の家臣 明智光秀による本能寺の変によって、信長と共に戦死したため、彼は岩村領へ赴くことは無かった。

2.鎌倉時代の森家 4.森家の処世術

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