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森家の史跡

【分類】

森宗家

三日月森家

赤穂森家

その他

新見関家
No. 概要
A 増上寺 (港区)

徳川家の菩提寺。津山藩主 森長武や、三日月藩主 森長俊が火の番を勤めている。歴代藩主が将軍の霊廟に燈籠を献じているが、戦後、全国に分散され、現存しない。(増上寺の燈籠参照)
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B 赤穂藩江戸屋敷跡(西江原藩邸跡) (港区)

JR浜松町駅前、文化放送社屋がその場所。
元津山藩芝屋敷であったが、改易後、西江原藩邸、のち赤穂藩邸となる。森家先代実録には、「芝御屋敷」とあり、森長継の仏殿があったと記されている。
平成14年、文化放送社屋建設に際して発掘調査が行われ、森家の紋が入った丸瓦などが出土した。
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C 新見藩江戸屋敷跡 (港区)

赤穂藩江戸屋敷に隣接する形で建っていた。
元は赤穂藩江戸屋敷とともに津山藩芝屋敷であったが、赤穂藩より一部割譲を受けて造営された。屋敷地を造営中に、龍の骨が発掘されたとあり、この逸話から、関家の家紋を鳳凰之丸としたという。
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D 瑠璃光寺(港区

津山藩主森家、および赤穂藩主森家の菩提寺。(墓所は現存せず)
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E 東禅寺 港区

鳥取藩主池田長幸の墓所。長幸は津山藩主森忠政の婿。幕末には、藩命を受けた森格新が、久留里藩士を率いて援軍した。
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F 妙円寺 港区

日蓮宗寺院。足利尊氏の念持仏がある。白金妙見として知られる。
三日月藩主森家の菩提寺。主に藩主の子女が眠る。藩主と夫人の墓所は池上本行寺であるが、妙円寺は藩邸に近く、気軽に詣でやすい環境であったことが推察できる。墓所は東京大空襲で焼失し、現存しない。
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G 瑞聖寺 港区

新見藩主関家の菩提寺。宇治の萬福寺を本山とする黄檗宗寺院。寛文10年(1670)の開創。関家は黄檗宗に帰依しており、本山のあった宇治の萬福寺には関家が寄進した茶室があったという。瑞聖寺は、江戸で開かれた最初の黄檗宗寺院であったことから、信徒は少なかったが、関家の強い帰依が伺われる。
関連家:新見
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H 烏帽子石 千代田区

津山藩主 森長継が携わった江戸城普請に用いられた巨石。明治以後、日比谷公園に移設された。
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I 寛永寺・徳川家霊廟 台東区

将軍吉宗廟の付近に三日月藩主寄進の石燈籠が残る。
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J 寛永寺護国院 台東区

津山藩主 森長武の墓所。(非現存・青山墓地を経て大正時代に赤穂花岳寺へ改葬)。護国院は綱吉霊廟造営などに際して移転を重ねている。長武の死後、長武の側近・横山刑部は亡君の墓守を理由に退身し、傍らには横山の墓もあったと言う。
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寛永寺松林院 台東区

三日月藩主森俊春が、寛永寺参詣の折に宿坊とした塔頭寺院。元文5年の綱吉33回忌では、前夜から逗留したことが三日月藩日記に記されている。当時の絵図によると、現在の東京大学旧奏楽堂の付近にあたるが、その堂宇については明治に廃院となり、現存しない。
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K 上野東照宮 台東区

津山藩主 森長継寄進の銅燈籠2基が現存。重要文化財
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L 津山藩江戸上屋敷跡 中央区

東京駅丸の内北口一帯。
龍ノ口と呼ばれた江戸城近くの場所に、津山藩上屋敷があった。(非現存)
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M 中野御犬小屋跡 中野区

津山藩主 森長成が、将軍綱吉の命を受けて造営した犬屋敷跡。(非現存)
広大な敷地に、「一の囲」「二の囲」「三の囲」が造られ、10万匹を超える江戸中の野犬が収容された。
津山藩森家は、丸亀藩京極家とともに造営を命じられ、わずか2ヶ月で完成させた。
昭和40年ごろまで、囲町(かこいまち)という地名が残っていたが、現在は統合され、駅近くに「囲町公園」の名前だけが面影を残している。
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N 浄心寺 江東区

津山藩主 森長継の室、長清院の墓所。4代将軍・家綱の乳母、三沢局(みさわのつぼね)が建立した寺院で、日蓮宗の大寺院として、10万石の格式を持っていた。江戸時代には日蓮宗本山である身延山から御開帳がたびたび行われた。
また、久留里森家の菩提寺。
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O 本門寺 大田区

森忠政の嫡子、忠廣の室、鶴亀姫(浩妙院)の墓所。将軍徳川秀忠の養女として輿入れしたが、まもなく死去し、前田利常の息女であったことから、前田家の墓所に葬られた。庭園には浩妙院の燈籠1基が残る。

■観光情報
墓石の石塔は移設のため解体保存中。庭園は非公開。
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P 本行寺 大田区

日蓮上人が没した場所に建立され、三日月藩主森家の菩提寺。
往時の状態を保った、壮麗な墓域が今に残る。初代藩主・ 森長俊の室、於布宇は熱心な日蓮宗信徒で、死に際して当時に埋葬されることを望んだ。
その後、長俊が没してその横に葬られた。以後、国許で死去した5代快温を除いた歴代の藩主・夫人が埋葬された。
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Q 三日月藩江戸藩邸跡 品川区

JR目黒駅一帯。
元は津山藩大崎屋敷で、隠居した津山藩2代藩主・森長継の居所であった。津山藩改易後は三日月藩の藩邸となる。
初代藩主 森長俊をはじめ、多くの三日月藩主がここで世を去った。
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R 祥雲寺 渋谷区

正式名称は瑞泉山祥雲寺。黒田長政の菩提を弔うために建立されたのが起源であるが、江戸時代を通じて多くの大名家が菩提寺とした。森家では津山藩4代藩主 森長成や、赤穂藩主森家の子女たちが葬られたが、墓所は現存しない。
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S 市谷見附跡 千代田区

津山藩主 森長継が江戸城築城普請で造営に携わる。寛永13年(1636)に江戸城の外堀工事が行われた際、津山藩が担当した市谷御門の建設地には、市谷亀ヶ岡八幡宮があり、江戸市中に時を告げる「時の鐘」があった。長継によってこれを隣接地に遷宮し、時の鐘もここに移されたという。鐘は慶長19年(1604)の鋳造で、見附の完成後は「市谷御門の鐘」と呼ばれたという。南北線市ヶ谷駅構内に江戸歴史散歩コーナーが設置され、発掘された石垣が復元されている。

■観光情報
見学自由。石垣の遺構に付いての案内板もあり。
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T 東京大学史料編纂所 文京区

森家先代実録・赤穂本の写本をはじめ、森家に関する古文書類の多くが謄写されて保存されている。久留里森家8代森勝蔵・9代森忠蔵によって寄贈した古文書類も複数点残る。
関連家:宗家 赤穂 三日月 新見 久留里
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U 椿山荘 文京区

旧久留里藩下屋敷の庭園が山縣有朋に購入されて、椿山荘となった。有朋によって改修された現在も庭園が現在も残っている。
■観光情報
見学自由。
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V 津山藩関口屋敷跡 文京区

津山藩の別邸として存在した。隠居した津山藩主森長武が居住し、津山藩の改易によって明け渡す。
椿山荘の向かいにある、東京カテドラル聖マリア大聖堂が跡地。

■観光情報
立ち入りは自由だが観光向けの教会ではない。拝観は配慮をすること。
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W 長命寺 練馬区

三日月藩主森長俊が寄進した石灯篭が一基残る。元は増上寺の文昭院霊廟(徳川家宣)に奉献されたものだが、戦後の整理により当寺に収められた。
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