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森家の史跡

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三日月森家

赤穂森家

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新見関家
No. 概要
A 本能寺跡
中京区油小路通蛸薬師山田町
関連家:
B 本能寺
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C 蓮台山阿弥陀寺(京都市上京区)

浄土宗の寺院。山号は蓮台山。本能寺の変後、信長の遺骸をひそかに持ち出して埋葬したとされる寺院。天正13年に現在地へ移転した。
信長の墓所の傍らに、森蘭丸・坊丸・力丸の墓所があり、江戸時代に赤穂藩主森家によって修復が行われている。
関連家:
D
(三玄院)
大徳寺三玄院(京都市北区)

森忠政が、石田光成、浅野長政とともに春屋宗園を招いて建立した寺院。寛永11年7月7日、将軍家光上洛の準備で京都滞在中に急逝し、同寺に葬られた。

大徳寺真珠庵(京都市北区)

森可秀の位牌があるとされる。
江戸末期の文化年間には確認されていることが「森家先代実録」に記されているが、現在は不明。
関連家:
E 船岡山(京都市北区)

京都滞在中に急逝した森忠政を火葬した場所。船岡山は平安時代からの火葬地として知られる。

建勲神社(京都市北区)

織田信長を祭神とする神社。
神楽殿には、森可成を含む織田36将を描いた額が掲げられている。
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F 妙顕寺(京都市)

寛永11年、将軍家光上洛の準備で京都に滞在中、宿所とした寺院。日蓮宗大本山。
7月5日、近隣の大文字屋で食事をした忠政は、腹痛を起こして宿所に帰り、7月7日未明に死去。桃による食傷であったと伝えられている。
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G 建仁寺常光院(京都市東山区)

建仁寺第24世温仲宗純禅師の開山。天文21年(1552)に焼失したが、慶長9年(1604)に木下家定によって復興した。森可成の弟、森可政とその一族の墓がある。家定は木下長嘯子の父。長嘯子には可成の娘、宝泉院が嫁いでいたが、伏見城の攻防戦で敗走した長嘯子を嘆いて離縁している。

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H 聚楽第跡(京都市

豊臣秀吉が天正15年(1587)後陽成天皇の行幸を仰ぐために造営した華麗壮大な邸宅。東西600メートル、南北700メートルと二条城より一回り大きい規模であったと伝えられ、城郭風の堀や石垣を巡らせたという。完成からわずか8年で取り壊され、一部は大徳寺の唐門や、妙覚寺の表門となって今に残る。この聚楽第行幸には森忠政も供奉し、和歌を読んでいることが森家先代実録に記録されている。
関連家:
I 二条城

(1600)2月、森忠政が美作国主に任じられた場所。寛永11年には、忠政の死に際して、長継もここで遺領を相続している。
関連家:
J 東福寺

森長継の息女の宝篋印塔墓がある。
右大臣一条 冬経の簾中(側室)として嫁いだ於亀は、一条家墓所である、東福寺に葬られている。
京都でも屈指の紅葉が見られる場所として知られている。
関連家:
K 高台寺

森可成の娘・宝泉院が嫁いだ木下長嘯子の墓所。また、近隣には長嘯子が庵を結んだとされる、長嘯庵が再現されている。徳川家康から伏見城の守備を命ぜられた長嘯子は、弟・小早川秀秋に攻められて敗走。宝泉院に離縁をされたが、その余生は風流人として名を残すことになる。
関連家:
L 京都御所
関連家:
M 万福寺
関連家:
N 三室戸寺
関連家:
W 関連家:

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