(1)森家が拝領した大名物「青木肩衝」
森家は大名茶人と呼ばれるほどのお茶人は輩出することは無かったが、先述のように恩賞の代用品としても用いられたため、名物茶道具を所持していた。江戸期を通じて、「大名物」とか「中興名物」と称された茶道具は、市中で簡単に入手できる品ではなく、大名家であっても所持できる家は限られており、森家が唯一なれど所持していた大名物・青木肩衝も、国主大名家としての家格を表すためには欠かせない表道具だったといえよう。
(2)森家へ到来した時期・贈り主
青木肩衝が森家に到来したのは、津山藩主・森忠政が将軍徳川家康より拝領したとされている。しかし、その年代は資料によって2つの説に分かれいる。
・慶長8年拝領説
森家大系図や森家先代実録によると、忠政は家康から美作に加えて備中を拝領する内証を受け、家臣を備中に派遣して内偵させるも、肥沃な土壌で無いとして、これを辞退する。その折、家康から変わりに賜ったのが青木肩衝ととされている。森家大系図によると、慶長8年(1603)とある。
・元和2年拝領説
幕府の公式系図集である寛政重修諸家譜によると、元和2年(1616)とある。この歳の4月には家康が死去しているから、元和2年が正しければ、家康の死の直前ということになろう。慶長8年は大阪の陣の直後でもあり、備中国または青木肩衝が贈られたのはこの恩賞だった可能性も考えられる。しかし、元和2年では拝領する理由が見当たらないことから、慶長8年拝領説が濃厚と考えられよう。
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