天正10年(1582)、仙千代は12歳のとき、3人の兄(蘭丸・坊丸・力丸)と同様に織田信長の小姓として仕えることになった。すでに兄3人は信長の許で小姓を務めていたが、この仙千代は違う。末っ子の甘えか、父を知らぬ強さからか、負けず嫌いであり、先輩小姓であった梁田河内守に子ども扱いを受けて腹を立て、梁田氏を殴ってしまった。
この事件は直ちに信長公の知るところとなり、(仙千代は幼すぎるので)実家に帰って妙向尼母・可成の未亡人)の面倒を見るよう命じられた。事実上の解雇である。
もし、梁田氏の事件が無かったら、仙千代はそのまま信長公のお膝元にあり、2・3ヵ月後に起こった本能寺の変で運命をともにしていたと思われる。忠政公が津山18万石の礎となることはなかったのである。


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